鹿児島 納骨堂・墓地・永代供養・合祀 新生田上霊園

神になった薩摩義士

神になった薩摩義士

2015年2月25日

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「城は人でなす」との名言通り、薩摩は人で成り立っていた。城山のお城近くに薩 摩義士碑が立っているのをご存じだろうか。<鹿児島市観光課表示より抜粋>
80余名の犠牲の上に沈黙したあばれ川、岐阜県に木曽川治水工事の犠牲者を祭る神社があります。治水神社といい、今も1755年(宝暦5年)の薩摩藩による工事に感謝する人々の参拝が絶えません。
愛知、岐阜、三重の三県にまたがる濃尾平野は、今でこそ豊かな土地に生まれ変わりましたが、昔は川床の高さが異なる木曽、長良、揖斐の3河川が合流し、度々、大水害を引き起こしていました。
1753年(宝暦3年)幕府は薩摩藩にこの河川の治水工事を命じ、藩は早速家老のを総奉行に任じ約1000人を派遣しました。
平田は大阪の商人から、22万両を借り工事に取り掛かりましたが、梅雨の増水でせっかく築いた堤が切れ、工事は困難を極めました。 さらに、監督する幕府役人の横暴や疫病の発生により、自刃、病死するもの続出、完成までの1年3ヶ月の間に犠牲者は84余名を数え、工事も40万両に達していたのです。
平田奉行はその責めを一身に負い自刃、藩政時代は幕府への遠慮から、彼らの偉業は公表されず1920年(大正9年)ようやく慰霊碑が建ち、義士として賛えられました。貧しい薩摩の懐事情もさることながら、こういう貢献についても後世に残したいですね。


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